金田正泰 wikipedia|無料辞書
|没年月日 =
|身長 = 170
|体重 = 68
|利き腕 = 左
|打席 = 左
|ドラフト順位 =
|年俸 =
|経歴 =
|経歴補足題 = 監督・コーチ歴
|経歴補足 =
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
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◆来歴・人物
1973年のシーズン中、金田は投手の
権藤正利に対し、「サルでもタバコを吸うのか?」と暴言し、腹に据えかねた権藤は、1973年
11月23日、阪神のファン感謝デー終了後に金田を殴打し、実働20年の連盟表彰を棒に振ってまで引退。(なお、権藤は大変温厚な人物として知られていた。)権藤のほか、
鈴木皖武にも殴られる、
江夏豊との確執など一部の主力選手との対立が激化した。前年に続いて2位という成績を収めたが、残り2試合でマジック1という状況から優勝を逃し目前で
巨人の逆転
V9を許した。翌
1974年は前半首位で折り返したものの、最終的には4位に後退し監督を辞任した。
選手としては、俊足巧打の上に守備もうまく、
バントなども器用にこなす万能プレーヤーであった。特に、打撃の安定感では、一番打者、二番打者として幾度となくチャンスをつくった。シーズン18三塁打、イニング2三塁打の日本記録を保持していることで知られる。監督としては、先の権藤・鈴木の事件などトラブルが多かった。
監督辞任後は野球解説者にはならず、プロ野球から一線を引く。小武内(おぶない)姓となり、大阪でステーキ屋を営む。1992年12月5日、急性
心不全のため死去。
享年72。選手に対しての暴言などから人望は薄く、葬儀には球界関係者の姿は多くはなかったが、1972年にヘッドコーチとして入閣した時の監督だった村山実は葬儀に参列した。
◆年度別打撃成績